植田です。
ボヘミアン・ラプソティ、観てきました!
事務所メンバー3名で、発声・手拍子・足踏み・仮装OKの「胸熱応援上映」を楽しんで来ました。
まさに素晴らしい!映画です。
フレディ・マーキュリーという人物の光と影、栄光と苦悩が見事に表されていました。
ロックのノリや勢いだけでも十分に楽しいのですが、50歳も近くなってくると、そこに込められた意味に改めて気づかされることがあります。
それまで英語の歌詞を暗記して一緒に歌っていたのに、改めて読み直してみると、その歌詞が今まで気が付かなかった深い意味を持っていたことに気づかされる、ということがあります。
映画でも、若いころに見た映画を改めて見ると、全く違う角度で全く違う感動を味わうことがあります。
それは、自分自身の体験がその歌詞に重なるからだったり、他人の体験にも共感できるようになったからだと思います。
フレディはエンターテナーとしての成功とは裏腹に、愛する女性と別れ、生活も退廃的になっていき、エイズにも感染します。
でも、バンドの他のメンバーに許しを請い、クイーンとしてライブエイドでのパフォーマンスを懇願します。
最後、クライマックスのライブエイドで歌う「伝説のチャンピオン」(We are the champions)には、こういうフレーズがあります。
And bad mistakes I've made a few
それにひどい間違いも、いくつか犯した。
I've had my share of sand kicked in my face
ひどい屈辱をうけたこともある。
But I've come through.
でもそれを乗り越えてきた。
この歌詞を読むと、酒とドラッグに溺れるフレディのどん底生活と、それをテレビで暴露するアシスタントのシーンや記者会見のシーンを思い浮かべ、そしてそれを乗り越えて歌うフレディに強い共感を抱くでしょう。
でも、同時に、自分自身の人生を振り返って、ひどい間違いを(繰り返し)したことや、いわれのない屈辱を受けたことがあることも思い出し、そして今はそれを乗り越えてフレディと一体になって歌っているような、そういう思いも押し寄せるのです。
俺たちは王者だ!とフレディが歌う時、自分もそのひとりなのだ、王者なのだ、と思うのです。
クイーンの歌の歌詞は、こんな風に苦悩とそれを乗り越える強さを歌うものが多く、歌詞を味わうだけでも泣けてきます。
それは、苦しみ悩み抜いたフレディの自分に対する応援歌であり、多くの同じ悩みをもつボヘミアンたちへの応援歌でもあります。
映画の大好評を受けて、応援上映の拡大公開が決まったそうです。(開催劇場はここをチェック)
もちろん、通常の上映もあります。
一緒に歌いたい人も、静かに見たい人も、ぜひこの機会に劇場に足を運んでもらいたいと思います。